- 日 時 平成16年7月6日(火) 午後6時00分~8時00分
- 場 所 商工会館 第4研修室
- 定例会の概要
- テーマ
- 市町村合併に関する「相模湖町の研究~相模湖町を知ろう!」
講 師・・・篠崎 武氏(津久井郡藤野町立藤野中学校元校長)
<主な内容・意見>- 相模湖町は宿場町として栄えた。
- 昭和18年藤野駅ができ、近辺がさびれ現在に至る
- 北部津久井馬ぎの・・・馬の放牧地帯、甲斐駒の生産地。
- 藤野町名倉・・・石たてお神社(高貴な人が落人として来た所と言われている) (駒、秦の性が多かった、奈良町の時に(日本書紀~)、1,799人の百済人を呼んで関東7州に移住させた。津久井は落人の里、串川の佐藤家は鎌倉時代の義経の家臣、青野原は北条早雲の家臣、馬ぎのに神原家が、徳川時代に守屋家がしずれ村に住みついた)
- 近世は、山岳地帯で水田が少ない。沼番、さす畑(焼畑農耕)、ぬたば農耕(猪を捕まえて食料にする)、徳川時代に5回の飢饉があった
- 津久井城址・・・三浦ためいけが築城、横須賀の津久井の地名をもらい「津久井」とした
- 昭和22年相模ダムが完成(360万人の動員-戦時中中国人労働者)、勝瀬部落が埋没、台風の時に洪水が凄かった)
- 畜産、養蚕、酪農が栄えた→八王子が栄えた
- 津久井の8割が森林、水資源を育てているのが森林である
- 炭焼きや椎茸のほか、水が豊富で酒屋が栄えた
- 尾崎がくどうが津久井町に子供の時にいた
- (尾崎行雄・・・明治維新に貢献、三重県から衆議院議員になった
(明治29年東京市長民主主義の基本を説いた。戦争責任は敗者だけでなく勝者にもあると説いた)
- (尾崎行雄・・・明治維新に貢献、三重県から衆議院議員になった
- 帝京大学ができて学生のためのアパートが増えた、職員・事務員・学生が全国的に集まり人口増となっている
- 交通網が悪い、連休中は通れない、相模湖まで1時間県でもサブ゙道路を考えている
- 中学生は優秀な人ほど相模原へ出てくる
- 小学校は3校に、中学校は1校となる予定、町営のスクールバスを用意していた
【相模湖町に産業をおこすとしたら何が良いか】- 市にないもの、林業~ログハウス
- 広大な山をいかに使うか、水は県が全て持っている以上
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